[著者: 富家直明 (北海道医療大学心理科学部教授) more.. ]
こんな医療事故があった。
いや「事故」というにしては小さな出来事かもしれないが、事の大小を問わず、これも事故の1つだと思って聞いて欲しい。
高齢の寝たきり患者さんの転落事故
高齢の寝たきりの患者さんがストレッチャーから転落したのである。
入浴介助中の出来事であった。
2台のストレッチャーを横付けし、寝かせたまま横に移動させようとしたら、1台のストレッチャーにブレーキがかかっておらず、そのままズルズルと落ちた。
幸い、看護師がとっさに衣服を引っ張ったので、患者さんは軟着陸し、怪我などはなかった。
本来は、ストレッチャーのブレーキを事前に確認するはずである。
また、本来は、2人体制で移動作業をするはずでもある。
その「本来」がどちらもなされていなかったのにはワケがある。
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転落事故の発生の背景
まず、その日は大雪で朝から交通が混乱気味であり、始業の時点でスタッフが全員揃っていなかった。
加えて、病棟にインフルエンザ患者が出たために、数名の看護師が余計な対応に追われることとなった。
そんな、いつもと違う負荷がかかった状況の中で、看護師らによる入浴介助のルーティン業務が行われていた。
イレギュラーな日というのは、どんな職場にもある。
そんな日はいつもより忙しく時間に追われるため、テキパキとやらなければならない。
病院はいまや派遣やシフトワーカーが最も多い職場の1つであり、終業時間内に業務を完了させることはみんなの暗黙のプレッシャーにもなっている。
特に、仕事ができるベテランさんほど、非常時にはマニュアルを無視して、1人で何役もやろうとするかもしれない。
この事故はまさにそのような状況の中で発生した。
患者さんに被害がなかったのは先にも書いたとおりで、なによりである。
中堅看護師だけにインシデントの責任があるのか
だが、当事者となった看護師は、過失のストレスによりしばらくダウンすることになった。
この看護師の名前を、仮にAさんとしよう。
Aさんはいわゆる中堅であり、一通りの業務を1人で遂行することができる。
この日は、介護補助者と組んで、寝たきりの患者さんの入浴の介助に当たっていた。
朝から病棟はバタバタしており、タオルや着替えの搬入も遅れがち。
入浴患者の順番の連絡も混乱するありさまだった。
相棒の介助者も慌ただしく、いつもと違う動きをしており、Aさんも1人何役もこなす奮闘ぶりであった。
そして事故は起きる。
相棒の介助者が、ストレッチャーのブレーキを踏み忘れていることに、Aさんは気づかなかった上に、体重の軽いおばあさんの体を見て、「これなら十分に1人で移動できる」と過信した。
予想外にストレッチャーが動き出し、ズルズルと患者さんが落下した時、もしもとっさに衣服を引っ張っていなければ、大ケガか、いや、亡くなった可能性すらある。
病院は重大事故と判断し、関係者から事情を確認した。
介護補助者がストレッチャーのブレーキを踏まなかったこと、Aさんがマニュアルを無視して1人で患者さんを移動しようとしたことのどちらも「非」があるだろう。
また、非日常的な忙しさが予想されたこのような一日の、安全で円滑な業務遂行に配慮すべき管理者の責任もまた問われてよいはずである。
インシデントから立ち直る力
アルバート・エリス(Albert Ellis)
photo: https://www.skepticink.com/
だがそれはここでの本題ではない。
問題はこうしたインシデントに遭遇した医療者(それは明日の自分かもしれない)が、いかにこの後で精神的に立ち直れるかである。
そう、立ち直る力を論じてみたい。
論理療法(後に論理情動行動療法)の創始者として知られる、アルバート・エリス(Albert Ellis)という有名なカウンセラーがいる。
彼は、ものの考え方を工夫することで驚くほど早く、確実に立ち直ることができるようになることを実証し、自らのカウンセリングに役立てた。
REBT(論理情動行動療法)
REBT(リベット)とは、アメリカの心理療法家アルバート・エリスにより50年代半ばに生み出された心理療法の1つです。人間の苦悩は、出来事そのものに原因があるのではなく、その出来事に対する受け取り方や捉え方に問題があり、その受け取り方や捉え方を変えれば感情的な痛みを回避し自滅的・破壊的行動をすることなく生きることができるとされています。REBTでは、アディクションの悩み(自分への暴力)を解消するという考えを骨子に、ABCD理論という理解しやすく簡潔な形にまとめた理論を中心に展開される心理療法プログラムです。
出典:社団法人GARDEN
周囲に相談をしながら、失敗を成長や経験につなげる
どんな経験もその人のプラスになる。
ましてや失敗やミスほど優れた教材はない。
幸い、Aさんはこうした反省が実にうまかった。
「ストレッチャーのロックの確認をもっとも確実にする方法はなにか?」と周囲に聞いてみたところ、声出しも視認も結局のところ不十分であり、もっとも確かな方法は「自分の手で動かしてみることだ」と思うようになったとのこと。
視覚的、聴覚的確認は忙しい時ほどアテにならない。
見たつもりでも、認識していないことは多々ある。
しかし、ストレッチャーをゆさぶってちょっとでもぐらついたら、それは必ずドキッとするはずだ。
彼女は同僚に相談しながらそうした方法を見つけることができた。
注意してほしいのは、反省にも方法があるということだ。
Aさんのように、失敗をしっかりした教訓として活かすことができる人は、周囲の先輩や上司に相談をし、ひとりよがりな結論は出さない。
失敗体験の後、とりあえず気分転換を図っただけでは、答えは見つからないだろう。
日常生活に没頭し、しばらくストレスにつきあう大切さ
だが、Aさんは、事故後、眠ろうとすると嫌な思い出が目に浮かぶようになり、寝付きが悪くなった。
事故の処置も、再発防止対策の講じ方も最善を尽くしており、ほぼ完璧に責任を果たしたわけであって、これ以上悩むことはないのだが、「体が勝手に震えることがある」という。
こうしたストレス反応が現れるのは、むしろ治るために必要なプロセスであると考えて、しばらくつきあうしかない。
エリスのアドバイスは、「日常生活に没頭し、その充実度を高めることによって心のバランスがとれる」である。
- 朝はお日様をいっぱいに浴びてカラダを目覚めさせ、朝食を楽しみ、決まった時間に職場に出向く。
- いつも通りの仕事をし、終業後はお気に入りの時間や場所を楽しんで、快適な一日を感謝しつつ終える。
- 家事や仕事の1つ1つに丹精を込め、最善を尽くしていれば、余計なことは考える暇がないし、自ずと生活の質が高まっていくだろう。
その昔、学生時代に、ある寺院に寄宿したことがある。
そこには朝から黙々とゴマを選別している若い僧侶がいた。
それは夕食の料理にさりげなく添えられてあったが、その味よりも彼の一日の過ごし方にインパクトを受けた。
炊事や洗濯の1つ1つに集中し、そのクオリティを高めることが仕事のストレスの防波堤になってくれる。
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- お酒やギャンブルなどの依存性、衝動性の高い行動や
- 引きこもりなどの回避行動は
二次的な被害につながりやすいので注意が必要だ。
原因帰属を見直す。自責でも他責でもない、無責型のススメ
過剰に自分を責めるのも、人のせいにするのもストレスをこじらせ、長引かせる。
この原因帰属といわれる思考はなかなかやっかいである。
知らず知らずに悪いクセが身についていることが多い。
すなわち、いつも相手のせいにする人はそれを繰り返すし、いつも自分を過剰に責める人もまたそれを反復している。
自責か他責か。
この2択である限り、苦しみは続く。
なので、ここでは「無責」というものを提案したい。
「無責任」の「無責」、というより、誰の責任でもないと考える「無責」である。
事故を実況中継するようにしゃべることだ。
仮に、育児中のお母さんがいるとしよう。
2歳になるかならないかの息子が落ち着きなく目を離せない。
あるとき、その子どもの手がたまたまテーブルの上にあったオレンジジュースに触れて、こぼしてしまった。
- 「自責型」のお母さんはそんな場所にコップを置いた自分を責めるはずだ。
- また、「他責型」のお母さんは2歳児に向かって「アーッ!もう何やってんの!コラッ!」と怒鳴るはずである。
もちろん、どちらの場合も犠牲者が出てしまう。
では「無責型」は?
「アーッ!ジュースがこぼれちゃったぁ!ビチャビチャだあ!」とまるで実況中継をするように何があったかを話し続ける。
決して責任については触れない。
すると、やがて、問題解決的思考が生じてくるはずである。
「大変、大変、早く拭き拭きしようね!」と言いながら雑巾を持ってくる。
ついでにあちこち「拭き拭き」をした後に、「うわ~、キレイキレイになったね!がんばったね!」と。
めでたしめでたしである。
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